激務の医療機器販売店長から自動車販売の営業マンに資格なしで転職した体験談をご紹介します!
ブラックな医療機器販売から自動車販売の営業マンに転職した体験談
私はかつて医療器具販売の店長をしていました。
その当時の給料は手取りで25万円くらい。
うちの店舗は開店が10時で閉店が7時というごく一般的なお店でした。
在籍している社員は3人、月々の売上ノルマが500万円くらいで1日のノルマが大体15~20万円くらいに設定されていてお客様相手の商売だったので特別残業が増えるようなことはありませんでした。
ちょうどその頃、社内に会社全体の売上が低迷していて業績が厳しいという噂が流れていました。
売上確保のためにしっかりと接客をして少しでも利益を確保するようにとの業務命令がなされ、それを受けて社員達は必死に利益確保のために働いていました。
そんなある日、本社から1日の売上ノルマが達成できない店は達成するまで閉店してはいけないという電話が入りました。
どんな手を使ってもいいが売上だけは絶対確保させろと言われました。
あり得ない業務命令だとは思いましたがその日から地獄の日々が始まったのです。
まず手始めに開店時間を1時間早めましたがお客様は来ません。
それならと2時間早めましたがお客様は来ません。
じゃあ3時間ならどうだということで朝の7時から開店することになったのです。
朝の7時から開いている医療機器販売店なんてありえません。
頭の中ではおかしいとは思いながらもクビが怖くて本社に向かって口答えすることができません。
雇われている身の弱いところです。
同じように売上確保のために閉店時間もどんどん伸びていきます。
最終的には閉店時間は深夜12時。
しかも翌日以降のお客様確保のために深夜12時から自費でチラシを作ってポストに投函する仕事が増えました。
市内ばかりのポスト投函では効果が期待できないためより効果を上げるためにこれまた自費を使って近隣市町村まで行って行うのです。
それが終わって家に帰りつくのは深夜3~4時くらい。
そこから寝るのですから睡眠時間は3~4時間。
定休日もあったのですが定休日を作ってしまっては売上の減少になるからと定休日を撤廃され社員を残業させると人件費が掛かるとの名目で店長を管理職扱いにして残業が付かないシステムを本社が作り上げたのことで一般社員は朝の10時から夜の7時までの勤務なのですが店長だけが朝の7時から深夜12時までの勤務とその後のチラシポスト投函をすることになってしまいました。
休日もどんどんと削られて私の月の休日は大体2日程しかありませんでした。
その時の私の労働時間はとてつもないものでした。
朝の6時半に出社し深夜12時30分に退社。
その後のチラシポスト投函が大体2時間程度。
1日の勤務時間が20時間にもなっていました。
しかも月に2回しか休みがないので月の労働時間は560時間もありました。
今になって考えると笑ってしまうくらいのブラック企業でした。
でもクビになって職を失うのが怖く文句も言えずただただ言われるがままに働いていました。
その頃は年に2回のボーナスだけが唯一の楽しみになっていました。
夏と冬の年に2回のボーナスで1回のボーナスは25万円くらいです。
ボーナスが入ると家族でささやかながらレストランでちょっと贅沢をするというのを楽しみにしていました。
そんな激務の中、いよいよボーナスの日がやってきました。
賞与入金は3万円でした。
銀行に行って通帳記帳したのですが0が一つ足りずに記帳されたのではないかと自分の目を疑いました。
でも間違いなく3万円です。
家に帰って妻と子供に謝りました。
でも妻も子供も決して怒らずに「レストランで食事ができないことくらい大したことじゃないよ」って励ましてくれたのです。
「お父さんが一生懸命働いてるんだからきっと神様が見てくれているよ」って言ってくれたんです。
私はこんな激務の代償がこれっぽっちのボーナスかと心が折れそうでしたが家族の言葉を励みにして激務であったとしても仕事があるだけまだマシだと自分に言い聞かせました。
それからもずっと変わらず1日20時間ほどの労働が続きました。
次のボーナスも3万円でしたがめげずに一生懸命働きました。
妻と子供の言ってくれた「神様は見てくれているよ」という言葉を胸に秘めて一生懸命に働きました。
そのうち給料も昇給しなくなりました。
毎年、業績が悪いんだから当たり前だ、給料もらえるだけありがたいと思えという社長の言葉とともに収入は一向に増えませんでした。
そんなある日のことです。
本社からDVDが店舗に贈られてきました。
さて、何のDVDだろうと早速観てみることにしました。
驚きました。
社長は都心にある12階建ての近代的なビルを本社社屋として20億円で買ったらしく、数億円かけたであろう煌びやかな内装や豪華絢爛な社長室の様子を社長のナレーション入りで撮影された映像が延々と続くのです。
社員が朝の6時から深夜12時まで働いてその後も売上のためにとチラシポスト投函まで行って、給料据え置き、ボーナスを大幅カットして会社のために一生懸命に働いた結果が20億円の本社ビルでした。
業績が芳しくないから頑張ってくれという言葉は嘘だったのです。
数年前に売りに出されていた20億円のビルをどうしても手に入れたかったようで資金を確保するための業務命令だったそうです。
今は転職して全てがバラ色の人生です。
転職して正解と思えるので迷っている人は是非思い切って行動に移してみてください。
医療機器販売業(前社)
年収 :360万円
従業員数:500人
雇用状態:正社員
業種 :医療機器販売業
職種 :販売
主な仕事内容:販売、店舗管理、社員の給与、勤怠管理など
自動車販売業(転職後)
年収 :500万円
従業員数:500人
雇用形態:正社員
業種 :自動車販売業
職種 :営業
主な仕事内容:新車、中古車の販売など
当時の保有資格
特になし
何社に応募して、何社内定したか
応募数:5社
内定 :2社
医療機器販売業を辞めようと思った理由
・昇給しない
・労働時間が長い
・公休が少ない
・賞与が少ない
・ワンマン経営なので方針がコロコロ変わる
自動車販売業の求人を選ぶ時の基準
・昇給すること
・賞与がもらえること
・公休が月に8回あって慶弔休暇が取得できること
・ワンマン経営ではなく方針がしっかりとしていること
・残業は月に40時間までにして欲しいこと
自動車販売業の営業マンへの「志望動機」はどのような内容を書いたか?伝えたか?
元来、販売の仕事が好きでお客様に対してお客様のニーズに合った提案をしお客様に喜ばれるような仕事をしたいということを伝えました。
販売の仕事だからと言ってお客様に対して「売って終わり」の状態ではなく売ってから末永く顧客となっていただけるような接客販売を目指すべきであり自動車の販売業という仕事は私が目指すべきものに合致しているように感じますと書きました。
自動車販売業の営業マンへの転職で、履歴書・ 職務経歴書を書く時に気をつけた点
特別な資格は有していないのですが接客販売に関してはそれなりの自信を持っているので自分の武器である人当たりの良さと営業トーク、契約を勝ち取る力は誰にも負けませんという強い思いが伝わるような内容に仕上げました。
自動車販売業の営業マンへの転職にあたって、どんな不安があったか
■自分自身の不安■
・異業種なので不安
■転職活動での不安■
・年齢が不安
■転職先での不安■
・給与がしっかりと払われるのか不安
■現在の環境での不安■
・力仕事も多いので体力的に不安
転職活動で大変だったことや、後悔していること
転職活動においては前職があまりにもひどい待遇だったのでどんな条件でも素晴らしい好条件の職種に見えてしまったため、もう少し時間をかけて給与面などの良いところを選んでおけば良かったと思っています。
転職前の会社と比べて変わったことや、転職して良かったこと
前職と比べて良くなったところは全てです。
給与、労働時間、休日、残業などどれをとっても前職より優れていて転職して悪かったと思うことは一切ありません。
ブラック企業で苦しんでいる方へのアドバイス
私の場合は終身雇用制度の名残が何となく残っているような世代で転職するということは悪いことだというような教育を受けてきました。
ですから実際に酷い労働条件下でも「耐え忍ぶ」ということが美学のように思ってしまうことと転職に失敗して収入が途絶えてしまえば家族を路頭に迷わせてしまうという不安感が先立ってなかなか思い切れませんでした。
しかし今の世の中、転職サイトをうまく利用すればもっと素晴らしい仕事があるんだということがわかりました。
私のような人は珍しいかもしれませんがもし迷っている人がいれば思い切って転職サイトを使って転職してみると人生が変わると思います。
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